ルシアの「パラグアイ国家功労勲章」受勲についてひとこと解説

(クルブ・パナンビ : 早川智三)


April,2004


 ある日の朝8時ごろ近藤さんから1通のファックスが届きました。パラグアイからルシア宛ての手紙で差出人は前駐日パラグアイ大使ミゲル・アンヘル・ソラーノ・ロペス氏であることは見なれたサインでしたから直ぐに分かりました。ちょうど朝食をとっている時でしたので、後でゆっくり読もうと思っていました。祖国に帰任した挨拶程度にしか思っていませんでした。ところがびっくり、ビッグ・ニュースではありませんか。手紙の最後の段落にルシアに対する叙勲の話しが書いてあったのです!!!。
 そして去る3月17日にルシアは帝国ホテルの牡丹の間でめでたく受勲されたわけです。さぁこうなると当然のことながらルシアの受勲祝賀パーティーを挙行する話が持ち上がり、竹村 淳氏をはじめとして杉山浩一ご夫妻、相澤幸男ご夫妻、アルパ教室の小林富子さんが精力的に動き計画がとんとん拍子で進みました。小生もルシアの旧友の一人として何かやらねばと思い、当日には勲章のバリューについて語る羽目になりました。
 ところが、小生個人的に言うと今まで褒賞には全く無縁の人生を過してきたわけです。日本国内でも叙勲褒賞制度のあることは知っていました。春と秋になると、なにやら難しい名前のついた叙勲名と多くの人々の名前が新聞に掲載されます。でもはっきり言って全く関心もなければその知識もありません。ましてや海外の叙勲制度については皆目分かりませんでした。でも今回は身近なルシアが受勲されるわけですから多少は語れるように勉強せねばなりません。言うなればにわか勉強です。

 ルシアが受勲する勲章は国家功労勲章「コメンダドール位」というものでした。
 まず、これがどんなものであるかを知らねば話になりません。国家功労勲章は理解出来てもその後の言葉「コメンダドール」という位がどんなものなのか。外務省に聞けば教えてもらえそうだとは思いましたが、今、外務省はいろいろな問題を抱えておりそんな質問に快く答えてくれるとは思えませんでした。つい一年ほど前までは同期生が外務省にいましたから彼に聞くチャンスはあったかも知れません。でも彼はいまメキシコ大使で本省にいないし、結局自分で調べるより他に方法がないことがわかりました。
 まず、Comendador(コメンダドール)の意味を手持ちの辞書で調べて見ました。白水社の西和辞典では、「騎士団長、僧兵団長、地頭、メルセード会などの修道院長」と書かれていました。こりゃー駄目だ、と思いスペイン王立言語アカデミー発行のスペイン語辞書を開きました。それによると次のように説明されていました。

  1.所属する軍隊または騎士団において「勲位」を有している騎士
  2.称号の順位においてはCaballeroより上位でGran Cruzより下位

 ウーン、これで少し分かってきたぞ、と思いましたね。
 一番有益だったのはルシアが頂いたメダルを実際に見せてもらったことでした。表にはHONOR ET GLORIA(名誉と栄光)、裏にはPRAEMIUM MERITI(功労賞)と1865という数字が刻印されていました。この数字が大きなヒントとなりました。つまり、この国家功労勲章は1865年に当時のMariscal(陸軍元帥)フランシスコ・ソラーノ・ロペスによって創設されたものだと判断できたのです。ソラーノ・ロペスという姓名から分かる通り、前駐日大使ミゲル・アンヘル氏は彼のひ孫に当たります。このフランシスコ・ソラーノ・ロペスという人はその当時アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイの三国を相手に戦った人で、南米のナポレオンを標榜した勇敢な人でした。戦争の結果はどうなったか?それについてはここでは取上げません。この叙勲制度は一時期中断されたのでしょうか、1956年に再度設定されたとあります。

 ここでルシアに対する叙勲の内容について述べる必要があります。
 2004年3月4日付け、パラグアイ共和国大統領府外務省法令1866号にて決定されましたが、分かり易く言うと、『長年に亘りパラグアイ音楽を通じて日本とパラグアイ両国間の友好関係の強化に尽くした功績によって授与するもの』となっています。つまり、ルシアの30年近くに亘る活動が評価されたことになるわけです。従って2〜3年の音楽活動で授与されるような代物ではないことだけははっきりしておかねばなりません。
 その後、何人かの有識者にも話しを聞きましたが、結論として中南米各国で勲章の呼名にも多少違いがあるようです。また叙勲の対象者も国家元首、政府閣僚、社長など企業家、一般市民に対して送られる勲位はGran Cruz y Collar(大十字勲章)、Caballero(ナイト位)、Comendador(コメンダドール位)のように異なるようです。いずれにしても国家レベルの叙勲制度であることには変わりありません。位の上下はあまり気にすることもないでしょう。

 それよりも、「叙勲を受けたパラグアイのアーチストたち」にはどのような人達がいるのでしょうか? この点についてはかなり大胆に狙いをつけて調べました。つまり、1954年から約2年間ヨーロッパで活動した「トリオ・ロス・パラグアジョス」のメンバー三人は何か勲章を得たのだろうか? 彼等はトリオ解散後もそれぞれのグループを結成し、パラグアイ音楽をヨーロッパのみならず、アフリカ、中東、極東と世界的に広めた人達です。もちろん日本にも何回も来ています。彼らのお陰でその後なんと多くのパラグアイのアーティストが海外で仕事が出来たことか、それを考えると彼等の功績は絶大なものがあります。結論を申し上げましょう。
 ルイス・アルベルト・デル・パラナー(1926―1974)、アグスティン・バルボーサ(1913―1998)、ミスター・カスカーダ(滝)ことディグノ・ガルシーア(1923―1984)の三人にはルシアと同じ国家功労勲章が与えられていたのです。つまり、ルシアは彼等と同じレベルの功績を認められ今回の受勲となったということです。1956年に復活された叙勲制度で本当に限られた人だけに与えられているのです。歴史のある名誉ある国家功労勲章ということになります。
 ルシア個人にとっても大変な名誉であると同時に大きな財産となるはずです。

 以上合点いただけましたでしょうか? (ガッテン!ガッテン!ガッテン!)



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