Essay

アルパ演奏旅日記 - 4

「ルシアのパラグアイ滞在記」
− 2000年 8/28〜9/27 −

3rd October,2000


◆◆久々の里帰り◆◆

 8月29日、飛行機は予定どおりアスンシオンに到着。
出発する直前、アスンシオンの知人から「こんなに見事に咲きそろって美しい色をしたラパーチョを見るのは何年ぶりだろう。もう町中がピンク色に染まっているよ」というメールが届きました。パラグアイでの生活が長い人がこれほど興奮したメールをよこすくらいだから、さぞやと期待して空港から市内へ。いや〜すごい!私だってこんなのは見たことがない。ラパーチョは満開になると桜のように木全体を覆い尽くすように咲きます。花の色は桜よりピンクがもっと強く、それが町中至る所で咲き乱れている訳ですからすごいです。お見せできないのがホントに残念です。雨が降るとアッという間に散ってしまいますのでこれから写真を撮りに行ってきま〜す。なにしろ私は雨女ですから。

◆◆パラグアイのテレビ事情◆◆

 パラグアイでは衛星放送で日本のテレビをオンタイムで見ることが出来ます。日本のテレビのチャンネルすべてが見られるわけではなく、現在はNHKのみです。近い将来は民放もと考えているようですが、時差が12時間(季節によっては13時間)あるのでオンタイムとなると見るほうは大変です。ちょうど今、日本では大相撲の秋場所が行われていますが、こちらでは朝の4時から中継が始まってしまいます。いくら相撲が好きな人でも眠い目をこすりながら中継を見て、それから出勤なんていうことは出来ませんから、相撲大好き人間はタイマー録画に頼っています。でも、朝に「歌謡ビッグショー」や「お江戸でござる」を見たり、夜「私の青空」が放送になっているのを見たりするのもなんか変ですねぇ。

◆◆陽気でステキなミュージッシャン達◆◆

 パラグアイへ来ると、やはり自然とミュージシャンとの交流が多くなります。1日にはトリオ・サン・バレンティンのレコーディングを見学に行きました。グループとしては2作目になります。今回はマルティンがゲストとして参加しアルパで転調の多い難曲に挑戦していましたし、トリオもいいハーモニーを聴かせていました。前作同様期待が持てます。(1枚目のCDはオフィス・アルペジオで取り扱っていますので、ご希望の方はご連絡ください)
 その日の夜は、彼らやマルティン、アメリカンタのメンバーたちが集まって私の歓迎パーティーをしてくれました。ところでその場で聞いたことですが、マルティンが30日に結婚式を挙げることになったそうです。で、でもマルティンには子供がいるんじゃなかったっけ? とお思いになっているアルピスタ通もいらっしゃるでしょうが、あまりにも「売れっ子」だったのでちゃんとした結婚式はまだだったようです。

 翌2日はウパカライで行われた「民族舞踊フェスティバル」を見に行きカラフルな民族衣装と可愛い女の子の写真をたくさん撮ってきました。

◆◆武田選手を応援に! サッカー観戦◆◆

 サッカー通の方はご存知でしょうが、パラグアイは強豪ひしめく南米の中でも上位にランクされるほど実力を持った国です。そのパラグアイに「ヴェルディ川崎」などで活躍した武田選手が地元チーム「ルケーニョ」の選手としてやってきています。先発として出場するということで応援に行ってきましたが、武田選手までなかなかパスが通らずいい場面を作ってもらえませんでした。結果は残念ながら0−2で敗れてしまいました。因みに「ルケーニョ」はリーグ最下位から抜け出せず、監督のアマリージャはこの試合後に解任されてしまいました。


◆◆パラグアイは音楽祭シーズン◆◆

 音楽祭シーズンのこの時期、20世紀も最後ということで各地で行なわれる音楽祭は出演者も制作スタッフも力の入れ方がいつもの年とは違うようです。9月9日にはフェスティバル・デル・ラーゴ 2000 (「第28回 ウパカライ湖音楽祭」)が行われ私も観客として行ってきました。
 夜9時半、マリーサの歌でフェスティバルは開演。その後はパラグアイで活躍するミュージシャンが総出演し、翌朝の6時まで私もビデオ、DAT、写真と一人三役しながら頑張ってきました。(私も力が入っています)優勝者はスルヘンテとロス・オヘダでした。ゲストの中にはアルゼンチンからテレサ・パロディが来パ、楽屋を訪ねるとテレサを始め多くのミュージシャンとの再会が待っていました。なお、フェスティバルの優勝者、スルヘンテのCDは「ルシア塩満が選んだ新しいパラグアイ音楽シリーズ」としてオフィス・アルペジオから発売していますのでお問い合わせください。


◆◆ルビー・アダリオさんの追悼コンサート◆◆

 今回パラグアイへ来た目的の一つに、ルビー・アダリオさんの追悼コンサートを行なうことがありました。ルビー・アダリオさんは、私の恩師、故クリスティーノ・バエス・モンヘス氏の奥さんであり、多くのアルパ奏者を育て上げたアルパの先生であり、数多くの名曲を作曲した奏者としても知られていました。(「いつわりの愛」「我が祖国の思い出」などを作曲)そのルビー・アダリオさんが5月28日に交通事故に遭ってこの世を去ってしまいました。その事故も轢き逃げ・犯人は逃亡という最悪の結果でした。生前、ご夫妻には公私共にお世話になっていましたので、言葉がありません。おしどり夫婦として誰もが認めていたクリスティーノとルビー。クリスティーノが亡くなった後もおっとりとした物腰は変わらず元気でいたのに・・・。天国ではあの寂しがり屋のクリスティーノが、またルビーと一緒に暮らせるといって喜んでいるかもしれません。

 追悼コンサートは9月19日(火)、ホテル・エクセルシオールの「サロン・パノラミコ」で行ないます。私とセサル・カタルド(ルビーの教え子の一人)、マルティン・ポルティーリョ、クレリア・カロリーナ・サナブリア、ロケリーノ・インスフラン、ビルヒリオ・イバーラがアルパ奏者として出演し、その他、生前親交のあったミュージシャンが多数出演する予定です。


 ルビー・アダリオさんの追悼コンサート以外は大きな予定を組んでいませんでしたが、行けば行ったでいろいろとスケジュールが入ってきます。話は前後しますが、9月8日にカナル13(13チャンネル)というテレビ局の番組に出演してきました。その中で今回の訪パの目的である「追悼コンサート」への参加を呼びかけました。なにしろあれだけのメンバーが出演するのに入場無料なのですから・・・。そして「東洋の百合」「牛乳列車」の」2曲を演奏して収録は無事終了。大勢の人の参加を祈るだけです。

 ところで皆さんはパラグアイにどれだけのテレビ局があると思いますか? 正解は4局です。日本のNHKのような局が一つと、あとは民放といえば分かりやすいかもしれません。日本から多くの専門家が派遣されて技術指導の当たっていますが、日本のテレビ局と比べるといろいろな点でまだまだ劣っていることは否めません。さて、コンサートの前日にはまた別の局に出演することになっていますので最後の宣伝をしてきます。


 9月19日に行われたルビー・アダリオの追悼コンサートは、事前に新聞に大きく報道されたり、私がテレビに出て知らせたことで、当日はホテル・エクセルシオールのサロン・パノラミコは約300名の人で埋め尽くされました。多くの著名人が集まり、ルビーの親交の深さや交友範囲の広さを垣間見ることが出来ました。コンサートはルビーの弟子、ロケリーノ・インスフランの「我が祖国の思い出」で開演し、クレリア・カロリーナ・サナブリア、ミリアム・ベアトリス、マルティン・ポルティーリョ、ディアナ・バルボーサの演奏や歌が続き、いよいよ私の出演になりました。ちょうどコンサートの中盤に差し掛かったところです。クリスティーノの曲から2曲をソロで演奏した後、マルティンとドゥオで「あなたの瞳がわたしをみつめるとき」を演奏し、その後にルビーが生前いつも一緒に演奏していたセサル・カタルド、ビルヒリオ・イバーラと一緒に「いつわりの愛」「我が祖国の思い出」を演奏しました。自分で言うのも変ですが、今回のコンサートではこのメンバーで演奏したこの2曲が、ルビーを追悼する意味ではもっとも相応しかったように思いました。その後、ウベラの歌からセサル・カタルドの演奏へ移り、最後はコーラス・グループ[グアラニアを歌う女性たち]による歌で終演となりました。




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